父と母との思い出、マニフレックスのマットレスで眠る

父が末期がんの治療を終え退院。

腰が痛いというので「マニフレックス」の高反発マットレスを購入することにした。

知り合いの家具屋さんに使い勝手のいいベッドをお願いすると、マニフレックスのマットレスも取り扱っているというので一緒に届けてもらうよう依頼する。

マニフレックスを注文するので2週間後くらいになるといわれ承諾。

父に「腰の痛みが少しはましになるといいね」というと

「ありがとう・・・。」と少し微笑んで答えてくれた。

退院してきた父は、よく食べよく笑った。

私は仕事もあったので安心して実家を後にした。

父が急変したのは、私が大阪に帰った3日後だった。

よく食べよく笑っていた父が、電話にもでなくなった。

私は急いで実家に戻る。父はすでに病院のベッドの上だった。

病院にかけつけたとき、父は意識がなく酸素吸入をしていた。

後悔した。

「もっと傍にいればよかった」

「仕事が何よ」

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

病院のベッドに横たわっている父に泣きながらしがみついた。

その晩は、病院のベッドで父と一緒に眠った。

病院のマットレスはこんなに薄いんだと体感する。

父が退院したら、マニフレックスで眠らせてやれる。

小さな親孝行を私は嬉しく思っていた。

父の横でいろんな話をしたが、父の反応はなかった。

次の朝、父の容体が悪化する。

「あと、もって1週間ほどです」担当医がいう。

その言葉が信じられずにいた。頭が真っ白になる。

看護師さんに

「連絡できるかたに早めに連絡されたほうがいいです」

その言葉に押され、母や兄、入院している妹に連絡する。

父は妹を待っていたかのように、妹が到着して10分後に息をひきとった。

末期の肺がんだったけど、痛み止めもせず誰にも我儘をいわず旅だった。

看護師さんに聞くと「お家で随分と痛みがあったはずです」という。

母に聞くと「そんな苦しそうにはしてなかった」といった。

辛抱強い父らしい最期だった。

実家に帰り葬儀の準備で慌ただしくしていると運送業者から大きな荷物が届く。

「マニフレックス」のマットレスと通気性のよいベッド。

「もっと早くに頼めばよかった」

「なぜ、2週間後でもいいといってしまったのだろう」

父は一度も楽しみにしていたマニフレックスのマットレスで寝ることはなかった。

しかし、父がした母への最後のプレゼントだったのかもしれない。

父が他界した後、母がそのマットレスで眠るようになった。

母がいう「お父さんが残してくれたんかね。新しいまま私に使えっていってくれたんかね」

母は嬉しそうにマニフレックスのマットレスで眠るようになった。

【現在母は認知症のためグループホームに入所。しかし、帰省するたび今度は私が使わせてもらっている】

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